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第98回 患者の意識の根深さが生む医療不信2026:07:08:23:38:26
産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理
先日、90すぎの親族を救急外来へ連れて行った。用事でたまたま実家を訪れた際、前日からパッドに出血が認められたと言い出した。この日も二度出血したというから、貧血を心配して、タクシーで救急外来に連れて行った。その日から1週間入院することとなったのだが、内視鏡検査をしてくれた主治医によると、加齢等の理由で、大腸憩室から出血したのではないかとのことだった。おそらく出血が自然に止まり、検査では出血場所が不明だったとのこと。出血場所がわかれば止血をすればよいという説明だったのだが、入院期間中、一度の出血があっただけで、結局、出血場所がわからないまま、状況が落ち着いたので、「また出血したら来院してください」ということになった。
入院期間中はリハビリ運動もこなし、食事も様子見でだされた粥も完食し、問題がなかったのだが、対応してくれた若い女医さんに、毒づいたらしい。
親族曰く「最近の病院は、入院患者に主治医が対応せず、病名も告げないのか」といったらしい。ちなみに事実関係からいうと、主治医は女医さんで、病名は大腸(憩室)からの出血と治療計画書には明記されている。
親族の頭では(先入観では)、「偉い専門家然とした貫禄のある男性医師」が、彼女の言う主治医なのだと推察した。親族自身、父親が民間病院を経営していた院長で、子供のころから、90年間にわたり、どっぷり、病院文化(という概念があるのかどうかしらないが)にひたってきた。そこでは、節目では必ず偉い先生が回診し、患者は「ご宣託」をありがたく拝聴し、退院後に御礼に訪れるという構図があった。私が子供のころ祖父の病院にいくと、自宅の10畳ぐらいの座敷一間がまるまる盆暮の進物置き場となっていたものだ。要するに、親族の頭には、セルフメディケーションなどはなく、ありがたく偉い先生のご宣託を受け、「治していただく」のが医療なのだ。「主治医を交代させてくれ」と医師が患者からいわれたという話はこれまでもいくつかの取材で耳にしたことがある。現代では、医師のなかで女性が占める割合は年々増えている。また、「チーム医療」が主流になりつつあるので、さまざまな職種の医療介護者が患者に対応する時代だから、患者にとって医師の存在感が昔とは異なり希薄になっていることもあるだろう。
病状の説明も本人ではなく、キーマンとなる家族に電話で伝えられることも少なくない。
これからは、さらに医療介護を取り巻く環境が変化していく。それに伴い今回のような患者の不安からくる医療への不信感も増大していくかもしれない。無用の「カスハラ」を生まないためにも、医療者側からは説明だけでなく、ひとことでも「なにか不安なことはありませんか」と患者に耳を傾けることも必要なのではないだろうかと、今回の経験を通じて感じたところだ。
<2026/7/8 掲載>
