第95回 ヒト、モノ、カネの何が大事か?2025:12:09:06:56:40

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

前回は、個人的な体験ながら、病院の看護職について、もう少し積極的にケアの仕方について患者に情報提供してほしいということを述べた。在宅医療の現場では、特に終末期の患者を診る場合、医師の治療よりも、看護職のケアに重点が置かれるから、看護職の役割はより明確だ。役割を明確にせず、個人の裁量に任せると、優秀な人材ほど流出するだろう。それはどこの業界でも同じだ。職務に励めば励むほど、待遇への不満がつのるからだ。

さきごろ某医療雑誌への寄稿文で、このところの病院の赤字騒動、高額療養費の自己負担額の引き上げ問題など医療費の議論、病院における外科医や看護師などの慢性的な人材不足をめぐり、そもそも、心理的視野狭窄に陥っているのではないかと冷静な議論を呼びかけた。

つまり、高齢化に伴い増大していく医療費への強迫観念もあり、議論が「カネ」「モノ(制度)」に流されて、「ヒト(医療介護人材)」をどう生かすのかというもっとも大切な議論が置き去りにされてはいないかということを主張したかったのだ。本来「カネ」や「モノ」は「ヒト」をどう生かすのかという議論のあとについてくるべきものだ。

カネやモノが優先されると、ヒトはついてこなくなる。コロナ以降、今にいたるまで、全国で起きている医師や看護師の一斉退職騒ぎが象徴的だろう。不足するといわれる消化器外科医からは「医療の進展が著しい今日、働き方改革を押し付けるなら、そもそも職責をまっとうできなくなる」との声もきこえてくる。

社会をかたちづくるのは、「カネ」や「モノ」ではなく「ヒト」である。そんな当たり前のことがわからなくなっている現代の日本社会はそれ自体が不健全であると思わざるを得ない。

<2025/12/9 掲載>