第93回 そんな、あほな...2025:07:10:06:57:00

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

生活保護の減額をめぐり、憲法の「健康で文化的な最低限度の生活が保障される」(個人的に、「最低限の」というのは間違いで、「健康で文化的な生活が等しく」と改正すべきではないかとかねて考えている)ことに反するとして、国が敗訴した。そもそも、たかが一省庁の意向で、反憲法的な方針がまかり通っていることに驚きを禁じ得ない。お笑い種もいいところである。

最近話題になっている、障害年金の不支給の常態化や、高額療養費の自己負担額の引き上げなども同じ構図だ。
原告側は、今後、制度の改訂にあたっては、専門家の部会による検証をルール化することを求めているが、そんなことは、訴訟を起こされるまでもなく、そもそも当たり前のことであろう。

われわれの生活は、国の制度を維持するためにあるのではない。制度を適切に運用するためには、たえざる現場からの情報収集と、第三者による専門家の検証が不可欠だ。意思決定において、当事者だけの意向で制度のありようを検討していいわけはない。
某テレビグループの顛末を見ても分かるように、利害が一致する当事者間の運用に固執してしまうと会社という制度は行き詰ってしまう。

戦後の日本では、高度成長期を形成してきた(後付けの)社会モデルを是とし、終戦直後の「創業者精神」を忘れ、現状維持に堕してきた。その結果が、官僚制度や民間会社の制度を疲弊させ、破綻させてきた。現在、赤字体質が問題となっている病院経営もそのひとつだ。単純に経済的な収支を指標に病院経営を位置付けるのは間違いだろう。

今回の生活保護を巡る判決は、まさに戦後80年となる節目の年において、日本社会のありようを根本から見直すべきとのメッセージが込められているように思えてならない。

<2025/7/9 掲載>