第2回 つらい気持ちを和らげる「マシュマロ・タッチ」2025:06:30:06:57:11

医療ライター 福島 安紀

がんや認知症の患者さんのつらさを和らげ、リラックス効果のあるタッチング「マシュマロ・タッチ」が、医療現場で注目を集めています。いわゆるマッサージとは異なり、マシュマロを両手で挟んでもつぶれないくらいの力加減で優しく手などに触れ、軽くなでるようにさするタッチング法です。

マシュマロ・タッチを考案したアイグレー合同会社(兵庫県尼崎市/https://aegle-llc.com/)代表で鍼灸師の前川知子さんは、2003年に、末期の大腸がんだった母親を見送った経験があります。

「母は心臓も悪かったので、最後の半年間は腹水だけではなく胸水もたまって、寝返りすら打てなくなりました。緩和ケア病棟に入ってからは看護師さんにケアしていただきありがたかったのですが、家族は見ていることしかできません。痛みや不安に苦しみ、衰弱していく母に私ができたことは、手や背中、足をさすることでした。そうすると、母は、ふーっと息を吐いてちょっとだけ楽になったようで、表情が和らぎました。母が亡くなった後、もしかしたらがん患者をなでさするって、何かいいことがあるのではないかと勉強を始めました」

がんの患者さんに家族ができるケア法を求めて、鍼灸やアロマセラピーを学び、鍼灸師の資格を取得した前川さん。終末期のがん患者にも家族ができるケアを追求する過程で出会ったのが、当時、アロマセラピーの学校で講師をしていた見谷貴代さん(現・アイグレー合同会社副代表)でした。

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マシュマロ・タッチの普及を目指す前川知子さん(写真右)と見谷貴代さん

「私は、実習で緩和ケア病棟へ行き、終末期の患者さんにアロマセラピーをしていました。患者さんたちは、とても喜んでくれたのですが、アロマセラピーでは好きな香りのオイルを選んでいただき、うつ伏せになってもらって施術します。治療や病気の影響でにおいがわからなくなっている方には香りを選ぶこと自体がストレスですし、うつ伏せの姿勢に慣れない方もいて、何かもっといい方法がないのかと模索していました」。そう話す見谷さんは、がんの患者さんにとって癒しになり、科学的根拠のあるタッチング法を開発すべく、40代になってから神戸大学に入学して看護を学び、看護師資格を取得。前川さんが開発したマシュマロ・タッチの効果を科学的に検証する研究を始めました。

見谷さんたちの研究グループが、健康な女子大学生23人を対象に実施した臨床試験では、たった5分間のマシュマロ・タッチによって、疲労度とストレス度が低下し、リラックス度が上昇することが実証されています。また、東都大学幕張ヒューマンケア学部看護学科教授の岡本佐智子さんらは、5分間のマシュマロ・タッチ(メディカル・タッチ)によって、リラックス度が上がるだけではなく、明らかに皮膚温が上昇し、脈拍数が減少することを2025年4月に報告しています。

「心地よいタッチングのコツは、赤ちゃんに触れるように、やさしくゆっくりなでることです。皮膚のすぐ下には『C触覚線維』という神経があり、やさしく触れられたときに『気持ちいい』と感じる働きをしています。この神経は、温かい手でゆっくりなでられると反応し、その刺激が脳の中の、呼吸や心拍を調整する部分(脳幹)や、感情に関わる部分(島皮質)に伝わります。そうして『心地よい』『ほっとする』といった気持ちが生まれると考えられています」と前川さんは話します。

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 マシュマロ・タッチの説明をする見谷さん。家族がそっと手を握るだけでも気持ちは伝わる

体調がすぐれないときや、終末期には、強い刺激はかえってつらく感じられることがあります。「マシュマロ・タッチ」は、やさしくなでるような触れ方なので、体に負担をかけにくく、治療中の方や体力が落ちている方にも取り入れられているのです。

C触覚線維を効率よく働かせるには、タッチングの際、次の5つの原則を上手に使うことが大切です。
手の力加減(Pressure)は、マシュマロをつぶさない強さ
手の密着度(Attachment)は、力を抜いて手のひらをぴったりくっつける
手を動かす方向(Route)は、気持ちいい向きでなでる
手の温度(Temperature)は、温かい手で触る
なでる速度(Speed)は、ゆっくりなでる

「コツをつかめば誰でもできるようになりますが、手は清潔にし、患者さんの肌を傷つけないようにしましょう。患者さんが嫌がるときや家族がやりたくないときには、無理にやらないことも大事です」と見谷さん。タッチングの際には、ベビーオイルや低刺激で無香料・無着色の乳液タイプのボディ用保湿剤(ローション、クリーム)などを使うと肌への負担が少なく、滑りがよくなるそうです。

前川さんと見谷さんが、マシュマロ・タッチの普及のために設立したアイグレー合同会社では、がんや認知症の患者・家族向けのマシュマロ・タッチ講座(有料)、無料の体験会、看護師や介護士向けの講習会を開催しています。人に触れることが難しくなったコロナ禍には、C触覚線維を活性化させるタッチング法を練習できるタッチング・トレーニング機器を開発。看護師を対象に、このトレーニング機器の貸し出しも行っています。

また、神戸市と大阪府摂津市にある、病気の子どもと家族のための滞在施設「ドナルド・マクドナルド・ハウス」で、ハウスに滞在中の家族を対象にマシュマロ・タッチを提供するなど、ボランティア活動も展開中です。関西を中心に、がんの啓発イベントなどで、マシュマロ・タッチを提供したりもしています。

私も、見谷さんにマシュマロ・タッチをしてもらいました。不思議なことに、手首の上辺りから手の甲へ、軽いタッチでゆっくりと10秒ほどなでられただけで、体中が温かくなり、リラックスした気がしました。マシュマロ・タッチを受けているうちに、眠ってしまう人がいるというのもうなずけます。

手の甲は、人に触られても抵抗感が少ない場所とのこと。身近に、がんの患者さんがいる方は、まずは手の甲に軽く触れることから試してみるとよいかもしれません。緩和ケア病棟の看護師がマシュマロ・タッチを学んだり、看護教育にマシュマロ・タッチを取り入れたりする動きも出てきています。

「マシュマロ・タッチは、患者さんだけではなく家族もリラックスできるタッチング法です。私もそうでしたが、がんの患者さんのご家族の中には、『何か自分にもできることはないか』と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。ぜひ、マシュマロ・タッチを試してみてください。軽いタッチでゆっくり触れることで、肌の温かさが伝わってリラックスし、患者さんを大切に思う気持ちが伝わります」と前川さんは語ります。

がんの治療現場でも、所定の研修を受けた看護師さんたちによるマシュマロ・タッチがもっと広がることを願わずにはいられません。ただし、家族以外の見知らぬ第三者にタッチングを行う場合は、心理的な距離の取り方、患者さんの体調や状態に配慮し、がん以外の疾病も理解したうえでの対応と注意が必要です。

<2025/6/30 掲載>