第69回 治療の選択か、人類史の岐路か2022:12:10:22:40:13

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

最近、ゲノム医療をめぐっての議論がかまびすしい。
本庶佑氏の免疫療法が登場した際も薬価が高すぎるという指摘があった。
どちらの議論も、根底には皆保険制度があるのだが、そこには触れずに、今のところ表面的な議論の域をでてない。近年の目まぐるしい、がん医療の進展と、国民皆保険制度がからんでの医療費の負担の問題はそもそも裏腹だから、議論がそうなってしまうのはある意味仕方がないであろう。

ただ、ゲノム医療を進めたいがために、標準治療に物言いをつけるのは本末転倒だ。
現在のゲノム医療の保険適用が、標準治療に次ぐセカンドラインであることをさして、あたかも標準治療への固執が、ゲノム医療の進展を妨げているかのような主張がなされることがある。そう主張したくなるのはある部分理解できるが、ほとんどの治療が標準治療で行われている現状では、いたずらに患者側の迷いを助長しかねないことにも留意すべきだろう。

そうした治療法の是非論に留まらないゲノム医療にかかわる、ある研究者の指摘に注目すべきだろうと考えている。
その研究者は、欧米の医療界では、ゲノム医療をめぐっての議論は、治療法選択の是非論ではなく、ゲノム医療が人類にもたらすものは何かという観点で議論されていると指摘している。そうしたスケールの大きな議論、生命論に通じる議論を日本でもすべきだと主張する。

ゲノム医療が、人間の生命にもたらされる福音である一方、細胞レベルでの研究が精緻化すればするほど、生命活動の限界がより一層明確になるという現実も受け入れなければならいなということも示唆しているのだろうと受け止めている。

<2022/12/10 掲載>