第61回 誰のための病院だろうか?2022:04:08:13:58:07

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

つい先日、知人の男性が胃がんで亡くなった。ひところは治療の効果があって自宅で療養していたが、亡くなる2週間ほど前に痛みが厳しくなり、病院に搬送された。
この間、奥さんは、コロナを理由に病院が面会を断ったため、看護師に様子をききに病院に日参するにとどまった。奥さんは個室を望んだが、最後まで相部屋だったという。亡くなる直前に、いよいよと看護師がいうので、せめて一目でもと看護師に懇願したが、看護師が医師に相談してみますと言った翌朝に、夫の訃報に接することとなった。

コロナの感染が広がってから2年を超えた。この間、全国でさまざまな病院が、コロナ感染下でも患者が家族と面会できるように、現場でぎりぎりの工夫を重ねてきた。防護服で面会させたり、携帯電話はもとよりオンラインの映像を通じて言葉を交わし合ったりといった事例が多くみられた。この病院の様子を聞いていると、そういったことには全く関心がなさそうだ。

おまけにこの病院は、がん拠点病院でもない。ホームページで病院情報をみても、「がん」の文字はどこにもみられない。病院情報をみても5大がんの治療実績は各がんとも年間10~20件ていどだ。多くの治療実績はリハビリ、一般内科、整形外科である。
こんな感じだから、終末期のがん患者の在宅看取りへの移行など想像だにしないだろう。
近くに、実績のある在宅支援診療所が複数あるにもかかわらずにだ。

ちなみにこの病院に医師を輩出している地元の大学病院は、看護大の卒業生の就職先としては「お勧めでない」そうだ。理由は、この大学の医師は権威主義で、コメディカルに評判が悪いようだ。そのあおりを知人が受けていたとしたら、政府が進めている地域医療改革のなかでお払い箱とまではいわないにしても、しっかり自らの病院の立場をわきまえてほしいものだと思う。

やはり、自分の命を託す病院だから、しっかり調べ、主張を通す覚悟もわれわれに求められるということなのだが。

<2022/4/8 掲載>