第50回 プロとしての覚悟とは2021:04:05:17:33:42

産経新聞大阪本社 地方部編集委員 北村 理

前回、本欄で「(コロナ患者の)トリアージは医の道に反する」と書いた。
ここでいう「医の道」とは、「治療の必要な人に治療をし、命を救う」ことだ。
そこに、本来、「誰が治療を受けるべきか」という選択肢は存在しない。
しかし、いまだに、コロナ感染者の病院外待機者の死亡はあとをたたず、家族と面会も満足に、させない。一方で「死者がゼロ」の県があったり、「面談の工夫」をしている医療機関があったりしているから、言い訳は無用だ。
ところが、現在の医療の現場は、必ずしも「医の道」が存在しない医療機関もあるらしい。

先日手に取った、医療者の書いた著作についての書評をみると、こう書いてあった。
性風俗で働く女性に、医師が「そんな仕事をしている人をなぜみなければ」とか、生活保護の患者を揶揄する言動があったりするという。信じがたい話だが実在する。
私自身がある医師から聞いた言葉で驚いたのは、その医師が、友人の医師を評して「あの人は、在宅医などという、しょうもないことしてんねん」。つまり、病を治す治療が成立しない医療は医療でないといいたいらしい。
こうしたふだんも医療に対する「無理解」がトリアージなどという事態を生み出すのだろう。

医療者は「医療に無理解」なのだから、もはや、プロとはいえない。
かつて、「白い巨塔」といわれた老医師に「なぜ権威主義なのか」と聞いたことがある。
老医師は「部外者からみれば権威主義にみえるかもしれないが、患者の命を預けられる責任ある医師を1人育てるのにどれだけの覚悟を感じてやっているのかを知ってほしい。そうした医師を育てるのは容易なことではない」と言った。その老医師の弟子という医師から聞いた話はこうだ。
「教授巡回となると前の日は徹夜です。カルテを全部覚えるのです。聞かれたらいつでも答えなければならないのです」。巡回が終われば、病院でそばをかき込み、医局員は医局の床で死んだように眠るのだそうだ。

そうした〝教育システム〟がなくなって久しいといわれる。頭でなく体で覚える。
本来、求められた答えをだすプロの仕事とはそうして身に着けるものではないだろうか。
現代にいたっても、各界のプロたちは、やはりそういう。
<2021/4/5 掲載>