第47回 医療ルネッサンス?2020:12:29:05:51:37

産経新聞社 社会部記者 北村 理

今年のコロナ騒動で、世界の人々は、「医療」というものがいかに大切か痛感しただろう。
人類の歴史において「医療」はいわば、人々が生きるための知恵の集積、結晶であった。
この一年においても、コロナ対策として「マスク、手洗い、3密回避」という原則がみいだされたのも医学的検証、医療経験の蓄積の成果だし、感染を予防するワクチンの開発にいたってはほぼ1年を待たずして、実現した。医療関係者は「奇跡だ」とまでいう。
この「医療」が崩壊するといってかまびすしい。「医療崩壊」が何なのか定義もあいまいのまま騒ぎだけが大きくなっている。

コロナ患者の受け入れで病院経営がひっぱくしている、看護師はじめ医療者の流出がとまらない...。これらは病院経営の問題ではないのか?つまり、コロナ以前から存在した構造的な問題ではないのかという声が医療者から上がり始めている。そればかりか、コロナ騒動の陰にかくれて、家族の見舞いや看取りにおいて患者の尊厳は守られてきたのかという疑問も出始め、厚労省も「配慮するよう」指針を改めた。

医療行為は医療者しかできないのだが、われわれ一般市民が関心をもつべきは、医療人材の不足だろう。健康の正しい知識、習慣を身につける(マスク、手洗い、3密回避のような)といった医療現場への間接的支援とともに、幼少時から医療福祉に関心を高める教育的配慮は家庭においても教育機関においても今後不可欠になるだろう。こうした取り組みが、いざというときに社会を支え、経済活動を保障する武器になることは、今回のコロナ騒動で痛感したはずだ。20年後には就業人口の2割の医療福祉人材が必要となるという現実的な課題解決への取り組みも迫られているのだから。

コロナ対策の最前線にいる医療者はいう。「一般市民に対し、われわれに何かしてほしいと思わない。必要以上に神経質にならずに、自分が気分よく健康に生きていくことだけに知恵を働かせてほしい」。娘が通う看護大では、学生に対し「医療者の責務をもって医療現場を死守する誇りをもちなさい」といっているという。そうしたことを誇らしげに語る娘が目の前に現にいることに、これ以上ない未来の明るさを感じている。

<2020/12/29 掲載>