第46回 備えあれば憂いなし2020:12:08:05:49:21

産経新聞社 社会部記者 北村 理

新型コロナウィルスの感染者が急増したのに伴い、一時はあるていど治療法がみえてきたことにより抑えられていたといわれる重症者患者、死者数も増えだした。
一方で、感染症防止や防護服の不足、医療スタッフの対応能力の限界などから、患者と家族の面会機会は著しく制限されたままになっている。新型コロナに対応している医療機関のマニュアルをみると、依然原則として家族の来院は忌避され、遺体の面談も家族1人と制限されるなど、最後の時を家族と過ごすことはままならないようだ。本当にそれでいいのだろうか。家族との別れは人生で一度きりなのだ。事故や災害死と異なり、多くの人が医療機関で手厚い保護を受け、救命される人も多いだけに、死者とその家族は孤立感をより深めているだろう。

こうした状況を改善しようと、新型コロナ対応の最前線にたっている医療機関では、患者と家族の面談のための専門のケアチームを立ち上げ、遠隔面談のための電子機器をそろえたり、直接面談できるよう防護服をやりくりした事例などもでてきている。ケアチームでは十分な看取りができなかった家族のケアにもあたるという。

やればできるのに、こうした一部の医療機関ができていることがなぜ広がっていないのか。
もともと患者や家族のケアに不熱心であったり、そもそもそのようなことが必要であるという発想がないのだろう。前述の医療機関では、ふだんからそうしたケア(緩和ケア、看取りと家族のケア)に力をいれたり、そうしたケアが必要であることを、気付いた医療スタッフから提言が行われ、取り組んでいる。

もうひとつ、行政が、そのようなケアが必要なことが理解できておらす、医療機関に提言したり、遠隔面談のための環境整備を支援したりしていないこともあるだろう。コロナ専門病院をつくったといってあたかも先進的な取り組みをしているような顔をしていてはだめなのである。

前回、本欄で紹介したように、家族面会が思うようにできないことから、病院から在宅医療への移行例が顕著になってきた。新型コロナの問題は医療体制を根本から変えるような影響を及ぼしつつある。こうした状況に対して医療機関や行政だけでなく市民からも声をあげるべきだろう。医療スタッフへの感謝のことばだけでなく、われわれは最後の時を家族と過ごせる権利をも主張するべきだろう。

<2020/12/8 掲載>