第44回〝良薬〟は口に苦し...?2020:09:25:05:53:52

産経新聞社 社会部記者 北村 理

本欄の37回目~40回目にかけて、「がんと終活」というテーマで書いた。
内容は、筆者の周辺でこの1年の間にがんで亡くなった4人のことについてだった。

うち3人は、治療を開始してほどなくして亡くなった。のこる1人は、私の親族で、3年間の闘病の末、昨年末に亡くなった。亡くなる前日まで入院先の病院でリハビリに励んでいたが、亡くなるまでの数週間は、誤嚥性肺炎の恐れがあるとして、水も飲めない状態だった。いまだに、家族は、そのことを後悔していて、ふとしたはずみに思い出し、「かわいそうだったよね」と話す。

先日、ある雑誌で、在りし日の日野原重明さんのインタビュー記事が再録されていたのを何気なく読んだ。そこには、医師の倫理として、ヒポクラテスの言葉を引用し、医師のなすべきことは、「患者を救う」ことではなく、「患者の命を奪わないことだ」と述べられていた。
この日野原さんの言葉と、筆者がこの1年間に経験したことと照らし合わせてみると、がん治療の急速な進展が、医師の倫理を曲げてしまっているのではないのかと感じた。

つまり、「患者を救おう、救えるのではないか」という思いが先走りすぎ、「患者の命」を置きざりにしているのではないのかということだ。これは、ゆゆしきことではないか。
医師の中には、やはり疑問に感じている人も少なからずいる。彼らは、政府が喧伝している「がん治療の進展に伴う生存率の向上」に懐疑的だ。

一度、時計の針を戻す必要はないか。

再開した大河ドラマで、京の町医者(堺正章)が、助手の女の子(門脇麦)をたしなめるシーンがある。助手が知り合いの薬師から学んだ丸薬を伝授され、貧しい人々に配っているのをとがめたのだ。「薬が命を奪うこともある」と。
「生きる知恵」と「医療技術」は一致しないことをわれわれは顧みるべきではないだろうか。と最近つくづく、そう思う。

<2020/9/25 掲載>