第37回 がんと終活(1)2020:02:05:05:44:32

産経新聞社 社会部記者 北村 理

昨年から今年1月にかけて、3人のがん患者を見送った。
職業柄、これまで30年近くの記者生活で、多くの死と向き合ってきたが、さすがに、ごく親しい、しかも私自身が相談を受けてきただけに、いささか参っている。3人とも最後は急死に近い状況だったので、見守ってきた立場からすれば悔いが残る。

ひとりは同年代の女性カメラマン。一昨年11月、新しい写真集ができたと連絡を受け、話の終わり際に、ぼそっと「実はがんやねん」と打ち明けられた。いくつか提案し、治療が落ち着いたら、会おうかといっていたが、忙しさにかまけて、気が付いたら夏を過ぎていた。
ある日ふとフェイスブックを開けたら、友人の書き込みで、昨日亡くなったとあった。

もうひとりは、この欄で何回か紹介した、80代後半の親族の男性。初期の大腸がんから肝臓転移、それぞれ手術、ラジオ波、抗がん剤治療と推移し、3年間闘病生活を送った。昨年、2回目のラジオ波治療が終わり、効果がはっきりしないという診断があったのち、治療をいやがりだした。主治医から抗がん剤の提案があった時点で、手術前に続き、2回目のセカンドオピニオンを紹介した。そこでは、副作用の少ない少量の抗がん剤ではどうかと提案を受けた。主治医も同意し、治療を始めた、まではよかった。
治療に効果がみられたため、主治医が標準治療にもどした。この時点で親族夫婦から相談はなく、いまにして「主治医の熱意になんとなく同意した」と妻はいう。副作用がでだして、ある時電話で様子を尋ねると、足がパンパンに腫れて夜はトイレにも一苦労という。まずは治療を中断して、入院し、体調を戻すことを勧めた。次の日病院に行って、即入院となった。
足の腫れはすこしずつ和らいだが、しばらくして、微熱が出だした。ここで主治医から内科医に担当が変わり、診断は「難病の一種だ」という。そのための治療をするといって、投薬が始まり、熱も下がりだした。ところが、念のためといって血液検査をしたら「悪性リンパ腫」だという。診断を告げられた、次の日の早暁、亡くなった。
前日までリハビリに精を出して、足を動かしていただけに、家族は茫然自失した。
約2カ月の入院生活だった。在宅療養の道も探りだしていた矢先だったので、家族の誰も看取ることなく逝かしてしまう結果となっただけに、そもそも治療を続けることが正しかったのかどうか、おりに触れて家族で話し合っている。もちろん答えはでないが、治療をしなかったとしても、悪性リンパ腫にはなっていた可能性があったのだから、という納得のしかたを今はしている。
(つづく)

<2020/2/5 掲載>