第36回 プロフェッショナルとは?2019:11:09:11:59:39

産経新聞社 社会部記者 北村 理

先日、がん看護専門看護師に話を伺う機会があった。若者のがんについてだったが、彼女によると、不幸にして亡くなる場合、亡くなる間際に、若者たちは「おとうさん、おかあさん、いままでありがとう」というケースが多いのだという。もちろん親は最後の最後まで治療して子供たちが良くなることを願う。しかし、悟るのは子供のほうだという。その看護師さんが担当していた子供の最後に立ち会えなかったというあるケースの場合、その子供は肺転移による喀血にあえぎながらも、両親に感謝の言葉を述べたという。彼女は「もし、その場にいたら、燃え尽きていたかもしれない」と話した。

この話をきいたとき、ふと思ったのは、看護師さんの最後の言葉について看護大学1年生の娘にどう話すかということであった。考えている答はある。「つらくても病院の治療の現場で患者や家族のケアができるのはあなた方医療者しかいない」ということである。もちろん、そうしたストレスに対する職場でのケアはあるだろう。しかしながら、そうしたプロフェッショナルとしての矜持は彼らにのみ負わせるべきなのだろうかとも思う。

例えば、災害対応時の自衛隊や警察、消防の場合もそうだろう。東日本大震災の津波による犠牲者は形容のしようがないものがあったときく。こうしたとき、救いになるのが「ねぎらい、感謝の言葉」だと彼らはいう。いいかえれば、過酷な現場に立ち会う確率の高い、公共性のある仕事に対するわれわれの理解、共感だろう。

医療の現場では、多職種連携がほぼ当たり前のようになってきた。緩和ケアにしろ、がん治療にしろ、関わる職種は10ほどにもなる。これだけ多くの職種が関わることが今後、医療の世界であたり前になるのなら、多くの子供たちがそうした職種につく機会がこれまで以上に増えることだろう。だとすれば、小学校時代から、「何かになるための」キャリア教育ではなく、「生命とは何か」という教育があってしかるべきだろう。

前述の看護師さんが話してくれたエピソードには、今後、われわれが100歳時代を迎えるうえで、きわめて重要な問題を示唆してくれている。

<2019/11/9 掲載>