第31回 命のタネ2019:04:11:18:13:55

産経新聞社 社会部記者 北村 理

この春、ちょっとうれしいことがあった。
1年半ほど前に買った白い小さな花をたくさんつける鉢物が復活したのだ。

実はこの花、昨年の暮れに、家人にひっこぬかれて、あやうくゴミ袋いきとなる寸前だった。鉢を覆うほどの大きさだったのが、握り拳ほどの大きさに枯れ、皮もはがれ、たしかにどうみても枯れ枝だったので、家人が鉢の整理と称して、捨てようとしたのだ。
しかし、買った植物を捨てられない性分なので、「まだ根がついている」と主張し、植え戻した。さりとて期待もせずに、子供が飲み終わった牛乳パックに水をいれ毎日、せっせと水をやっていた。すると、桜が咲き出す2週間ほど前に、木全体に小さい葉がつき始めた。2泊3日の出張から帰ってきて、みつけて驚いた。

う~ん、命のタネはどこにあったのかとしばらく考え込んだ。家人は、学生のころお花の先生のもとで修行していたので、花に詳しく、それだけに意外だったらしい。

そんな話を食卓でしていたら、前回本欄でご紹介した看護大に進学した娘が、アルバイトで在宅医に同行した時のことを話し出した。
患者さんはほぼ100歳のおじいさん。医師等が訪問すると太平洋戦争に従軍した話をくり返すのが日課らしい。娘にいわせると、ふだん訪問している介護の人たちは「またか」といった顔をして、聞き流していたように見えたらしい。アニメ「艦隊これくしょん」が好きな娘にしたら、おじいさんが発する「トラック島で...」のような話は聞き逃せない。「陸軍ですか、海軍ですか」と思わず聞こうと思ったのだという。帰り際、在宅医が「おじいさんは昔の話をすると生き生きするのよね。こっちはなんのことだか分からないので、ハイハイといっているけど」と漏らしたらしい。娘は「もっと聞いてあげれば、元気になったかもしれないね」と殊勝なことを言っていた。

寝たきりになって外出がままならなくなった人にしてみれば、人と話すことが存在理由になる。医療・介護行為も欠かせないが、ちょっとした瞬間に、えりをただして、人生の先輩の話に耳を傾ける。それが何よりも薬になる時がある。
見つめる目が、命のタネを再び咲かせることもある、と娘の話にそうそうとうなずいた。
大学生活が始まり、さっそく苦戦している娘であるが。

<2019/4/11 掲載>