第24回 ビルマの竪琴~第2の水島上等兵あらわる!?2015:11:07:20:36:36

産経新聞社 社会部記者 北村 理

19回目でミャンマーの医療事情について触れた。今回はその続きである。
1年ぶりに首都ヤンゴンを訪れた。先天性心臓疾患の子供たちへの医療支援のためである。1週間の日程で、外科、内科総勢10人の医師らに同行した。

内科チームは完成したばかりのカテ室にまんざらでもなかったが、外科チームは ナイナイづくしであった。事前調査でも、メスやハサミは、なまくらだという話であり、心配はしたが、どうやら、なにかにつけその通りであったらしい。器材はもちろん調達はしたが、外科チームの緊張状態は近寄りがたいものがあった。

ところが、である。手術を始めて2日目の夜、食事の際、外科チームのひとりが、言いたくてたまらなかったとばかりに話してくれた。「ほんまに涙でそうになりましたわ。こんなに感謝されたのははじめてです」。きくと、手術が終了後、親や親類縁者がこぞって拝みたおすわ、土下座して頭をこすりつけるわで、それは大騒ぎだったらしい。

今回参加した医療団は、いわば、日本の小児心臓治療チームとしてはオールスターといっていいほどの顔ぶれだ。30代から60代までのプロフェッショナル。それが、まるで、初手術を無事終えたばかりのルーキーのように感激している。

興奮さめやらぬ外科医の横で、内科医チームも下をうつむき、うなずいている。「ぼく、残りますわ。ここに」、「ほんまやなあ」、「ここ生活費いくらいるの?」「現代の水島上等兵やな」といった言葉が飛び交い始めた。「ここのビールうまいわ。来てよかった」とも。
で、ついつい聞いてしまった。「日本では感謝されたことないの?」と。一瞬、医師たちの話はとぎれ...、「日本では成功して当たり前やからなあ」とだれといわず嘆息した。
そういった緊張感だからこその高い技術力なのであろうが、医師も人、患者も人である。

助けられた患者だけでなく、助けた医師も「生きててよかったなあ」と思う瞬間がなければ、ケア力の向上などと医療者に注文つけたところで高望みかも、と宴会の喧騒の傍らで、ひとりごちるのであった。

<2015/11/07 掲載>