第1回「病理医概論  前編」2014:02:21:22:12:39

norikuma2.jpgはじめまして、Dr. のりっくまです。
あえて名を秘しているわけではないのですが・・・『この名前で!』と言う御指名なので、中の人ではなく、ゆるキャラとして連載します。『中の人』は某地方のがん専門病院で病理医をしています。時々着ぐるみから出て立場を入れ替えて書くこともあるかもしれません。なんにしても、以後よろしくお願いします。

『概論』というのは『領域全体のあらまし』を論としてまとめたものです。なので『がん概論』は『がんの社会史』とか、『がん経済論』とか、『がんの進化論的意義』とか『がん心理学』を含むはずなのですが、たいていのがん概論は、病理学的な観点から見たがんの総説にすぎません。エッセイだし、匿名なので、その間抜けさをおおっぴらにあげつらっても良いのですが、連載を皮肉から始めるのも、幸先がよくありません。
がん概論を始める前に、『病理学』『病理診断』『病理医』の話から書き起こしていきたいと思います。『病理学的な観点から見たがんの総説ががん概論を僭称しているのか?』の説明になるからです。
と言うわけで、『Drのりっくまのがん概論 その1』は『病理医概論』です。

さて、幸いなことに一般の患者や家族が、がん診療中に病理医に直接接することはまずありません。実際にどんな方法で病理診断が行われているか知っている方はもっと少ないでしょう。『解剖する医師』という意味では、病理医は法医者にぼんやりと似ていますが、病理医はサスペンスに関わらないので、ミステリもののテレビや映画に登場することは滅多にありません。ロマンスに関わることも少ないので恋愛もので見かけることもありません。まれにドラマに登場する例では、ハリソン・フォードの『逃亡者』の犯人、『世界の中心で愛を叫ぶ』の主人公、『蜜の味』の菅野美穂、『チームバチスタの栄光』の原作者などがありましたが、病理医が何をしているかに関してはほとんど情報を与えてくれません。『逃亡者』では凍った豚肉を振り回してハリソン・フォードと闘う役、『世界の中心で愛を叫ぶ』では単に主人公の現実味を下げるちょっとした味付けのために使われただけ、ともに病理学とは関係ありません。『バチスタ』の場合は病理学会と裁判しただけでした。とは言え、しかし、あまりなじみのない存在だった病理診断も最近は徐々に一般に認知されるようになってきたようです。

(1) そもそも『病理学』とは
「今日、医学界の専制君主、大法官は病理学者である。臨床医の下した診断は最終的には病理学の法廷に持ち出されて、判決が下る」 村上陽一郎・思想史のなかの科学(平凡社ライブラリー)

『そもそも』から語りますと、そもそも『病理学/Pathology (Patho - logy)』とは『ペーソス/Pathos』(悲しみ・苦しみ)の『-logy(学問)』です。ですから、病理医/Pathologistも本来は病気なんかではなくて、ギリシャ悲劇とか演歌の研究をしているべきかも知れません(個人的にはそう言う人生もよかったかも知れないかなとは思いますが・・・)。しかし、当然ながら医学に関係ある病理学/pathologyはそういうものではありません。『ペーソス/Pathos(悲しみ・苦しみ)』が転じて、『病気』と言う意味になります。Pathos + logy=『病気に関する学問』という意味です。
英語のPathologyを離れて、『病理』という和製漢語も『病(やまい)の理(ことわり)』と言う意味で作られています。
『じゃあ病理学は医学の全てじゃないか!?』ともっともなことを思う方もいるでしょう。
確かに『そもそも』はそうでした。

そもそも、病理学とは呪術と医学を分けるものです。近代医学が成立する前、人が病気になる原因は、先祖からの因縁とか、敵の呪いとか、鬼神のたたりとか、気功の乱れとか、そのようなものであるとされていました。即ち、自然や神様を含めた他者と関係の調節、体内の調和がうまくいかないことにあるとされていたのです。

18世紀、西洋において解剖が盛んになりました。解剖が病気に対する知識を飛躍的に増加させます。病気が起こる時、その症状に応じて各臓器に変化(大きさ・堅さ・変形・変色・腫瘤などなど)が生じていることがわかってきました。因縁や呪い、気功の乱れの有無といった目に見えないことに関係なく、病気は関係した臓器の誰の目にもはっきり見える異常として理解できることが分かったのです。そのため因縁・呪い・たたり・気功の乱れに対抗する唯一の手段であった呪術(お祓いやお呪いや護符の類)が健康を守るものの王座から落ち、目に見える臓器の異常に対応するため『西洋医学/近代医学』が王座に座りました。そのころの『科学』の成立と軌を一にするものです。

私たちが目にしている医学の基礎を形作ったのは病理解剖だったわけです。つまり、西洋医学の成立の時において『病気に関する学問/病理学』は『病理解剖によってわかる臓器の変化を調べる学問』と同義なものでした。当時は遺伝子の異常など、より深い病因は分かりませんでしたから、解剖によって肉眼的・顕微鏡的に観察された臓器の変化が『病気の本態そのもの』として理解されました。
20世紀にはいると外科手術が広く行われるようになり、外科切除標本に対する肉眼・顕微鏡的な検索も病理学の範疇になりました。『病気に関する学問/病理学』=『肉眼・顕微鏡的に臓器の変化を調べる』という形がさらに揺るぎないものとして成立しました。

(2) 今日の病理学
時はくだり医学は進歩して、解剖をしなくても体の中がかなり観察できるようになりました。CT・MRIなどの放射線診断学が進歩して、解剖の相対的な重要性が低下しました。また肉眼的・組織学的に感知不能な変化を遺伝子検査などの検査で検出できるようになりました。病理学的な知識が蓄積した結果、病理学的な検索なしでも病気が特定できる疾患も多くなってきました。また、それとは別に『ペーソス/病気』を各臓器の変化に還元することによって進歩してきた西洋医学が結果として『人』を見失う事があることもよく批判されるようになりました。
もはや『肉眼・顕微鏡学的な形態の変化を調べる学問』は進化して拡張した『病気に関する学問』の一部に過ぎません。しかしその歴史的経緯によって、『肉眼・顕微鏡学的な形態の変化を調べる学問』はいまだ『病理学』、『肉眼・顕微鏡学的な形態の変化を調べて行う診断』は『病理診断』と呼ばれています。

病理学はもはや『大法官』でも『専制君主』でもありませんが、依然として病理学検査はがんの診断においてもっとも信頼度の高い検査です。ほとんどの状況において『がんと診断する』ということは『がんであると病理学的に確定がつく』ということです。がんの診断にあたって、これまでに積み上げられてきた知識の量は他の診断法を寄せ付けません。遺伝子検査であれ、どのような高度な機器による画像検査であれ、その判断が正しかったかどうかは最終的に病理診断と合致していたかどうかで確かめられます。勿論例外はありますが、『病理診断』を抜きにしてがんに対する治療が行われることはほとんどありません。

という訳で、がん概論は『がんの病理学的な概説』として行われます。

ここまでで、『病理医概論 前編』はおしまいです。
後編ではいよいよ、話の前半で投げっぱなしにした『蜜の味』で病理医を怪演した菅野美穂を中心に、病理診断を行っている『病理医』に迫ります。