第9回「納得でつながる市民文化の醸成を~生きる力を求めて」2013:02:28:19:02:54

産経新聞社 社会部記者 北村 理

われわれは、何を求めて生きているのか。人間が社会を構成し、守るべきものは何だろうか。情報化、高度消費、都市化現象が過度に進む社会の諸相のなかで、そんな当たり前のことが全くかえりみられなくなっているのではないか。

例えば、東日本大震災の被災地となった釜石市の市街地にたってみると、海辺から数十㍍の場所にもかかわらず、地方都市でさえ人工構造物が林立するなかで、恐らく津波がくるなんて思わなかったであろうと容易に想像がつく。なんだか、すり鉢の底にいるような気分になるのだ。

過去20年以上、主に防災、医療、航空など公共交通機関、教育、海外ボランティアなどの取材に携わってきた。これらのテーマに共通することは、ネットワークの重要性だ。そして、人々がつながる目的は、命を守ること、生きる力を育むこと、であるはずだ。

しかし、現実にはそうはなっていない。なぜか。ネットワークでつながるはずの当事者たちが高度に専門化、組織化されたがゆえに、それらの機能を維持することが存在理由となってしまい、本来の目的である「命を守ること」すなわち、安全・安心というもっとも大きな命題が忘れ去られているからだ。

防災では、災害情報が高度化し、防災施設整備が進んだがゆえに、人々はそれらに頼り切り、自ら危機回避行動をとることを忘れてしまった。医療では、先端技術をもつ病院への依存度が高くなったことで地域医療が崩壊し、それこそ「ゆりかごから墓場まで」様々な問題を引き起こしている。教育は受験産業の隆盛にみられるように、個別化教育が進んだが故に、それにひきずられる学校でも、教育の本分である集団教育の重要性は忘れ去られ、子供たちは生きる力を失った。

しかし、再生への兆しもある。「釜石の奇跡」として知られる釜石市の小中学生の避難劇は、学校を中心として地域の人々が防災教育・訓練に取組んだ成果だ。副産物として、学校でのいじめはなくなり、成績も向上しているという。教育評論家の尾木直樹氏は「子供たちに生きる力を育む教育の原点」と評する。経営学の大家である野中郁次郎・一橋大名誉教授は「子供たちが、津波から身を守る工夫をしていくうちに、学校や地域での自らの存在意義・役割に気づき、それゆえに高度で自律的な判断力をもつようになった」と解説する。この取組みは防災教育のみならず、企業の社員教育に取り入れられ始めている。

医療では、在宅療養のネットワークの構築のために、各分野の医療者を中心として各地で取組みが始まっている。これまで、高度で先進的なスタッフと技術を有する大学病院・総合病院でしか可能だと思われなかったことを、まちの診療所や病院、訪問看護、介護施設、薬局、保健所が連携することで実現しつつある。

これらの事例に共通するのは、「権力」や「金」がまったく介在しないこと、いや、できないことだ。ある社会心理学者は「納得でつながっている」という言い方をする。「納得」は、様々な立場の人たちが対等にそれぞれの特色を生かし、問題に正面から向き合い、なぜ、なに、どうしてと地道で具体的な対話を繰り返しながらノウハウを構築していくことでしか生まれない。

先の衆院選で示された各党の公約等では、時節柄、防災は一部の党が主張したものの、医療や介護についてはほとんどみるべきものがなかった。だからといって政治に失望する必要はない。彼らの役割自体が〝縮んでいる〟からだ。そのかわり、市民が自ら果たす役割が大きくなっているということに、われわれは気付かねばならない。

<2013/2/28 掲載>