第1回「序章 天を敬い、人を愛する」2012:03:17:07:11:33

近畿大学医学部附属病院長 塩﨑 均

 私が外科医になって40年が経とうとしています。これまでに、本当に多くの患者さんとご家族と接してきました。最先端の治療方法の開発、一本の血管に神経をすり減らす手術、何百何千と繰り返される診療という毎日の中、人が病と対峙し、生きることに真摯に向き合う瞬間に立ち会わせてもらう貴重な体験をしてきました。
 その時間は、同時に人として人の生死をどうとらえ、外科医としてどう関わっていくか、具体的には「医療が天に対する冒涜になっていないか」といった課題について悩み続けてきた時間でもありました。それは、一外科医としての永遠の課題と思って生きてきました。
 そんな私が自らの病を通して至った境地が、「天のもとには医者も一人の人間であり、人生を生ききるお手伝いをするのが医者の役割である。それが天を敬うことであり、同時に人を愛することである」。つまり、武士道にあるような「死に様」の手伝いをするのではなく、「生き様」の最期を手伝うのが外科医に与えられた使命だと感じたのです。その長年求め続けてきたことが具体的になって私の目の前に現れたのが、「敬天愛人」という言葉だったのです。

 本書は、若い世代には理解しがたい人生観や哲学が含まれているかもしれません。しかし、生きてきた時代や歴史には関係なく、人として大切にしたい本質とは何なのか、医者として何を考え、何を感じ、何を大切にすべきかが少しでも伝わればこの上ない喜びです。

福沢諭吉詩書七絶.JPG 私の教授室に、ひとつの額に納められた書があります。

適々豈唯風月耳(適を適とする あに風月のみにあらず)
渺茫塵界自天真(渺茫の塵界に 天の真あり)
世情休説不如意(世情休説 意のごとくならずとも)
無意人乃如意人(無為の人 すなわち如意の人なり)

画像)福沢諭吉詩書七絶
~大阪歴史博物館ホームページより~
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 私の教授就任祝いに大阪大学文学部の梅渓昇名誉教授からいただいたものです。梅渓先生は大阪の地で緒方洪庵先生が開かれた適塾の「適塾保存会」の理事を永年務められ、『緒方洪庵と適塾』『緒方洪庵の妻』など緒方洪庵先生に関する著書をはじめ、『高杉晋作』『お雇い外国人』など幕末から明治の日本史に関する多くの著書を出しておられます。
 梅渓先生のお手紙によると、この書軸は適塾に収蔵されている福沢諭吉の書であり、復刻したものであるとのことでした。その書風は、堂々としておりながらかつ柔軟な、それは見事なものであり、部屋に入るたびに幾度となく目にしていながら、いつも新鮮な感動与えてくれる書です。梅渓先生は、私のこれからの目標にするようにと、ご謹呈くだされたのでした。
 
 この漢詩の大意は、

適を適とする、すなわち自分の心に適することを適とする、言い換えると自分の心に適(かな)うところをたのしむ生活、
それは何も自然の風月をたのしむだけのものではない。むしろ広くて見定めがたい俗世間に天の理にかなった真実があるというものだ。
世の中が自分の思い通りにならないからといって、何もこぼすことはないではないか、ことさらたくらむことなく真実に生きる人こそ、自分の思いを達する人なのだ。

というものです。この福沢諭吉の書の境地にいかにすれば到達できるのか、それを考えさせてくれる私の宝物なのです。
 
 本書を書くにあたり、想いを巡らせているうちに、はっと気づいたことがあります。私の大好きな歴史上の人物に西郷隆盛があります。西郷隆盛は今さら述べるまでもなく、福沢諭吉と同時代に生きた幕末の薩摩の藩士です。
 明治維新のさなか彼は何ものにも動じない精神を貫く一方で、同輩後輩に対してはあふれんばかりの優しさをもって接するのです。その生き様は、誰にもとうてい真似のできるものではありません。

敬天
愛人

 「天を敬い、人を愛する」。西郷隆盛の座右の銘です。この四文字の中に凝縮された想いが、医師としての私の大切な「銘」でもあります。福沢諭吉の書の境地がまさに西郷隆盛の境地なのだと気づいたのでした。梅渓先生が私に求めたものを、この書を通してようやく納得することができたのです。
 ただただ、雑務に追われて過ぎ去っていく一日一日をどうすれば楽しむことができるのでしょうか。「天を敬い、人を愛する」、この気持ちを持ち続けることが、それを可能にしてくれるのでしょうか。まだまだ日々は迷いの中です。

 今日の医療界は崩壊寸前の状態です。微力ながら私にできることは、諸先生方と力を合わせ、患者さんのために、純粋な意味での医療が行える環境を整備し、改革を推進すること。そしてまた、患者さんの幸せを第一義と考えることのできる、心豊かなすぐれた医師を育成することだと、自分の肝に銘じています。
 本書は医師という私個人の視点から書き留めたものではありますが、医学の専門書たることを目指したのではありません。むしろ混迷を極める現代の医療界に、今まさに立ち向かわんとしている若き医師たちへ、はなむけの気持ちを込めて書いたといった方が適切でしょう。
 もちろん医師に対してのみではなく、これからの日本を背負っていこうとしている若き人々へ、混沌とした現代社会と折り合いつつ、なお尊き心を堅持されることを望みつつしたためたものでもあります。

 人生には本当にさまざまな局面があります。楽しいこともあれば、苦しいこともある。悲しいこともあればまた、喜びにあふれることもあるのです。勘違いしてはならないのは、人生において、「楽なこと」がすなわち「楽しいこと」ではないということです。逆にいうと、忙しいからといってそのこと自体が苦しみを表すのではない。
 楽しみは、「苦しみ」の中に隠されているかもしれません。喜びは「悲しみ」の中から現れてくるのかもしれないのです。短絡的な、目先だけの視点にとらわれるのではなく、物事の本質をきちんと見定め、人間らしい心を見失わないことが肝要なのではないでしょうか。
 若さゆえ、悩みの境地から抜け出せないこともあるかもしれません。ともすれば、目標を見失いがちになって、心を痛めることもあるでしょう。そのような悩みは、少し視点を変えたり自分の立ち位置を見直すことによって、意外に簡単に抜け出せることも多いものなのです。
 現実に若き日の私自身が、そのような境地をもって体験したのだから間違いはありません。悩める若き人にはぜひ本書を読んでいただきたいと思います。本書を読むことで、一人でも多くの「悩める心」が救われることがあれば幸いです。

<2012/3/17 掲載>

(このコラムは、2009年 株式会社 悠飛社発行 塩﨑 均著 「天を敬い、人を愛する」を、著者のご厚意により、当サイトへの転載を許可頂いたものです。)